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伊藤 勝利

栄光の時を期待して待つ信仰 (ヨハネの福音書 11:1〜16)

등록 2025.02.08
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リビングライフ

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1 さて、ある人が病気にかかっていた。ベタニアのラザロである。ベタニアはマリアとその姉妹マルタの村であった。
2 このマリアは、主に香油を塗り、自分の髪で主の足をぬぐったマリアで、彼女の兄弟ラザロが病んでいたのである。
3 姉妹たちは、イエスのところに使いを送って言った。「主よ、ご覧ください。あなたが愛しておられる者が病気です。」
4 これを聞いて、イエスは言われた。「この病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものです。それによって神の子が栄光を受けることになります。」
5 イエスはマルタとその姉妹とラザロを愛しておられた。
6 しかし、イエスはラザロが病んでいると聞いてからも、そのときいた場所に二日とどまられた。
7 それからイエスは、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われた。
8 弟子たちはイエスに言った。「先生。ついこの間ユダヤ人たちがあなたを石打ちにしようとしたのに、またそこにおいでになるのですか。」
9 イエスは答えられた。「昼間は十二時間あるではありませんか。だれでも昼間歩けば、つまずくことはありません。この世の光を見ているからです。
10 しかし、夜歩けばつまずきます。その人のうちに光がないからです。」
11 イエスはこのように話し、それから弟子たちに言われた。「わたしたちの友ラザロは眠ってしまいました。わたしは彼を起こしに行きます。」
12 弟子たちはイエスに言った。「主よ。眠っているのなら、助かるでしょう。」
13 イエスは、ラザロの死のことを言われたのだが、彼らは睡眠の意味での眠りを言われたものと思ったのである。
14 そこで、イエスは弟子たちに、今度ははっきりと言われた。「ラザロは死にました。
15 あなたがたのため、あなたがたが信じるためには、わたしがその場に居合わせなかったことを喜んでいます。さあ、彼のところへ行きましょう。」
16 そこで、デドモと呼ばれるトマスが仲間の弟子たちに言った。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか。」

 

今日のみことばの要約

イエスは、ベタニアに住むラザロが病んでいることを耳にします。イエスは、その病気は死で終わるものではなく、神の栄光のためのものだと言われます。イエスは、そのときいた場所に2日とどまった後、「もう一度ユダヤに行こう」と弟子たちに言われます。それは弟子たちが信じるためでした。

 

みことばから

神の栄光の時を知っておられるイエス (11:1〜6)
人間の弱さは神の栄光を現す手段です。ベタニアの村に「神が助けてくださる」という意味の名を持つラザロが住んでいました。彼の姉妹はマルタとマリアです。マリアが高価な香油をイエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐうほど(12:3)、彼らはイエスと親しく、イエスも彼らを愛しておられました(5節)。ラザロが病気であるという知らせを聞いたイエスは、「この病気は死で終わるものではない」と言われます。ラザロの病気を通して「神の栄光」が現れることを知っておられたからです(4節)。イエスは、ラザロのところにすぐに行かず、そのときいた場所にさらに2日とどまられました。神の栄光のための時を待っておられたのです。


- ラザロが病気であると聞いても、イエスがすぐに行かなかった理由は何ですか。神の栄光を期待し、あなたがさらに忍耐すべきことは何ですか。


もう一度ユダヤに行こうとされるイエス (11:7〜16)
ベタニアは、エルサレムから東に3キロほど離れた村です(11:18)。イエスは弟子たちに「もう一度ユダヤに行こう」(7節)と言われます。ここで「ユダヤ」とはエルサレムを指します。イエスは、眠っている(死んだ)ラザロを起こしに(生かしに)行くと言われます(11節)。イエスが「ユダヤに行こう」と言われたことは、世の光であるイエスが神殿に光を照らし、人々のつまずきをなくすという意味に解釈することができます(9〜10節;9:5)。また、ユダヤで光の役割を果たして殉教するという意味に解釈することもできます。「私たちも行って、主と一緒に死のうではないか」(16節)というトマスのことばが、このような可能性を裏づけています。光であるイエスが行かれる先々で、いのちのみわざが起こります。


- イエスがもう一度ユダヤに行こうとされた理由は何ですか。福音の光を求めて、あなたが従順な心で行くべき所はどこでしょうか。

 

きょうの祈り

病気や苦難のような人生の困難を通しても栄光を現される神様を賛美します。状況が私たちを圧倒するときも主に信頼し、信仰を失うことがありませんように。主に視線を固定し、光である主にとどまり、不信仰という石につまずくことがないようにしてください。

 

 

*リビングライフの文章のコンテンツ著作権は、ツラノ書院にあります。

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